紅茶見聞録
Black tea chronicles
懐かしのセイロン紅茶
エピソード1
1960年代にティーバッグが全盛になってゆく前の時代、紅茶は今とは違った美味しさがあったらしい。
「今の紅茶は、味が落ちたものだ。一番の違いは発酵度が弱いことだね。昔のものと比べて深い味わいに欠ける。」
会社で会うたびにそんなことを声高に仰る先輩がいた。紅茶製品の販売に長年携わってきたこの方にとっては、現代の紅茶が、満足いく味わいでないというのだ。
その年代まで遡って、自分が未だ幼年のころ、家で昼食時も過ごしていた頃のかすかな記憶を手繰れば、やはりそうなのかなと思う。
トースターで焼き上がったばかりの熱いパンの上で溶けてゆくバターとともに、母が淹れた紅茶を飲んでいた。口の中は熱くなりまるで舌がやけどしてしまうかのような感覚があった。そして深く赤い水色の紅茶の味わいは、砂糖の甘味が加わったおいしさと家族のだんらんのおぼろげな記憶につながっている。
紅茶製品の大半が、ティーバッグ化する前後で、紅茶が変わってきたとするなら、どんな点が違ってきたのだろうか?
良い紅茶は、素性の良い元気な茶樹から、丁寧に茶摘みされた1芯2・3葉の生葉を、→新鮮な空気を送って適度に萎凋させ、
→最適な条件で揉捻と発酵を行い、
→最後に乾燥機で熱風乾燥することで出来上がる。
ここから先は、いわゆる仕上げ工程で
→異物などを除くクリーニング、
→続いてソーティングとかグレーディングという紅茶葉のサイズ分け、
→包装工程である。
ティーバッグ時代が到来する前後での違いについて考えてみたい。
端的に、また浅学承知の上で、敢えて言うならば、揉捻工程が異なっている。
伝統的なオーソドックス製法では、萎凋後の茶葉は、揉捻機(ローラー)だけを使って揉み上げる。
ポットでゆっくりと時間をかけて抽出するための紅茶を作る。
次の発酵工程では、酸化発酵の仕上げのポイントまで時間を切って終点とする。
秘訣はきっと、赤褐色の水色がより濃くなるよう、そしてグリーニッシュな青い香りが消えるよう、しかしながら発酵し過ぎにならないようにするに違いない。
また、次の乾燥工程も焙煎即ちローストとはいかないまでも、カラッと乾かす感じであろうか?
一方のティーバッグ用紅茶の製茶は、ファニングスなどのブロークングレードをメインとした紅茶製法で、オーソドックス製法の場合も、CTC(クラッシュ・ティアー・カール)製法の場合も、必ず茶葉を先ず小さく切断するためにローターバーンというミンチ機のような切断機を使う。
萎凋後の葉は、一気に小さく切断されることによって表面積が格段に増加する。
その結果、酵素によって酸素を取り込む酸化発酵のスピードが効果的に上がり、揉捻・発酵に要する時間が大幅に短縮される。
結果として製茶時間を、大変短くすることができるのである。
その反面、揮発性が高い青葉臭などの青みの(生っぽい)香気がより多く残るため、カラッとした、言い換えれば熟成した香味の仕上がりにならないのだろう。
もちろんこのような青みのある香りの紅茶をフレッシュで新鮮ととらえる向きもある。
紅茶の世界も、ビジネス最優先で売上とコストを追いかけざるを得ない経営環境下、昔のスタイルのあの懐かしのセイロン紅茶が、主流に復権することは期待できないだろう。
エピソード2
スリランカで思い出されるあの夜
ある年スリランカ入国時のコロンボ国際空港。手荷物受取のターンテーブルでいくら待っても、結局私のスーツケースは、出てこなかった。バンコクでコロンボ行きに乗り継いだのだが、別の航空機に積まれてしまったのか、そのまま降ろされずに次の目的地の空港まで行ってしまったか、皆目わからない。
ニューヨークトレードセンター・ツインタワーへの旅客機2機激突という前代未聞の同時多発テロ事件は、ほんの2週間前の出来事であった。セキュリティーの強化は言うに及ばず、空の便の混乱は、地球規模で甚大な後遺症を引きずらせていた。
運悪い!
戻ってくるのだろうか?
イヤな予感だ。
「航空会社ごとのバッゲージクレームオフィスへ行って、ロストバッゲージ(手荷物紛失)の申告をし、追跡調査の上、後日こちらに到着したら連絡をもらい、必要なコンペンセーション(補償)を受けることができる。」と、空港まで迎えに来てくれた大手紅茶プランテーション経営会社のAさんは、冷静にアドバイスくれ、「明日のディンブラ茶園への訪問は、予定通り行きましょう。必要なものは、明日市内のスーパーに連れてゆくので何でも買えますよ。山から下りてきたころには、スーツケースが空港まで届いていればいいですね。」
確かに、困ったことだが仕方ない、今晩のところはあきらめて現地の指示に従うことにして、夜遅くホテルにチェックインした。明日は、セイロンでも指折りハイグロウン茶園を訪問の上、ゲストハウスに泊めてもらうことになっている。
一夜明け、朝から熱い日差しの中、Aさんは、ホテルまで来てくれた。細身でインテリジェントなスマート感溢れる輸出担当のマネジャーで、欧米出張も頻繁にこなす。
「さあ、スーパーで必要物資(*)調達したら、気を取り直し、ディンブラに向けて出発しましょう。」
(*スリランカ製の下着とワイシャツなどで、なかなかの品質)
目的地はセイロン紅茶発祥地の一つであるディンブラ地区ボガワンタラワという面白い地名にあるK茶園。アップカントリーの大自然に囲まれた場所で、買付の実績がある優良茶園である。
スケジュール通り事は運び、茶園と工場の視察、直近の生産品についてのテイスティングを終えたら、マネージャーズバンガローで夕食となった。
その夜は、スリランカの数々の茶園での優れた経営管理の実績を持つ、腕利きのベテラン茶園マネジャーを囲み、紅茶談議。スリランカの国立公園に生息する象やヒョウなどの野生動物の話。続いて、スリ日2国の論客による国際情勢を憂いつつの政治談議となった。
「ニューヨークツインタワーへの旅客機激突には、驚いたね。」
「そもそも湾岸戦争を仕掛けたアメリカに対する報復ではないのか?」
実際そのおよそ10年前、米国は、多国籍軍を率い、クウェートに侵攻占領した独裁者サダム・フセインのイラク軍に対してペルシャ湾での湾岸戦争を開戦。イラクが敗退後も、イスラムの聖地メッカを持つサウジアラビア等に駐留していた。それに対して、イスラム圏である多くの中東諸国では、抑えきれない不満や反発が増してゆき、アルカイダなどの過激派が活発化したということらしい。
『ジョージ・ブッシュ大統領の強引ともいえる勇み足が、この悲劇の引金になったように思うね。』
『同感だ。』
『それにしても、全く想像の世界のような出来事が、本当に起きてしまったものだ。』
茶園でのその夜、国は違えど、シリアスな話題になぜか心が熱くなっていたことが思い出される。
スリランカの山の自然に囲まれた茶園では、時間がゆっくりと流れ、人々は、日々の営みを穏やかに乗り越えているように映る。
今では、スマホからどんな情報も簡単に手に入る。閉鎖的な紅茶園の暮らしは、若い人たちには将来への希望が見えにくく、仕事としての魅力があまり感じらないのか、多くは都会に出て行ってしまうといった話を聞く。
現代の紅茶の味や香りも、それはよくできているが、先の経済原理で、昔とは大きく変貌してしまったかもしれない。この茶園の紅茶も、セイロン茶を代表する言わばモダンなハイグロウンディンブラの品質だった。
茶園マネジャーとの意見交換を終え、山を下りる車の中で、私のスーツケースは、コロンボの空港に届いていると、Aさんが知らせてくれた。数日前の不吉な予感は、杞憂となった。
翌日はコロンボで最新鋭工場の竣工記念セレモニーの後、再び、山に向かい中標高の紅茶産地である古都キャンディーへ。例の先輩を含むお偉いさんご一行に同行予定だったが、安心して参加できることとなった。
『昔の紅茶の方が良かった』あの方も、キャンディーとコロンボの素晴らしく清潔な紅茶工場を見て、紅茶作りの進化を目の当たりにされたことだろう。
されとて、今昔・新旧の紅茶の違いは、残念ながら並べて比べることはできず、あの思いへの疑問の解決とまでは到底いかずの結末。コロンボへの帰路のマイクロバス中では、ナイスティーならぬナイスショットの夢の中、皆ぐっすり。
エピローグ
もしかしたら、昔懐かしいノスタルジックな味わいのセイロン紅茶が、今もどこかで作られているかもしれない。
そんな紅茶探しは、今後のお楽しみの一つにしておこう。
紅茶産地キャンディーと素敵な蝶
セイロン紅茶の父、ジェームス・テイラーが最初に茶栽培に取り組んだキャンディーの写真とトピックご紹介。
田中 哲
紅茶百科
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