紅茶見聞録
Black tea chronicles
アッサム種 世紀の大発見
アッサム系の茶樹は、19世紀の英国植民地時代にインドアッサム地方で発見された。それが、今や地球上の殆ど全ての紅茶産地に行き渡っている。紅茶の茶畑の統計上の生産面積から植栽密度を一平米に1本として、計算すれば、総本数は何と百億本を超える。紅茶見聞録のスタートは、まずこのアッサム茶樹発見の起源へとタイムトリップ。
1820年代半ば今から200年近く遡り、北東インド、アッサム中部・サディアの地へと入って行く。
『あなたは何故そこまでこの木にこだわり続けるのか?この木は中国の本物の茶とは異なると判定が下されたではないか。』
チャールズ・アレクサンダー・ブルース(C・A・ブルース)は、1本の木の前に佇み、何かすごいことが起きる予感の中にいた。
つい2年前の1823年、彼の兄ロバート・ブルース少佐(R・ブルース)は、茶を食し煮出して飲んでもいる現地先住民シンプー族についての情報を得て、アッサム奥地ラングプル(現在のシブサガル)へと遠征する。物品の交易を経てそのシンプー族首長ビザガウムとの面会に成功。そこで遂に茶に酷似する植物を自らの目で確認した。さらにこの葉の煮出し汁は、ティーに似ている。
『この茶は、中国のものに匹敵する、いやそれをも凌駕するかもしれない。想像を超えた価値あるものにたどり着いた。』とこの時のR・ブルースは身震いするほどの最高の獲物を手中にした気分だった。
そうして次の訪問までにこの木と種子を集めさせ、持ち出すことを確約すべく許可の文書をビザガウムから取り付けた。
夏には気温摂氏40度を軽く超え、世界一の多雨地帯に雨季が来ると大河ブラマプトラは増水、アッサム平原に洪水を引き起こし、マラリア蚊の恐怖から逃れることは難しい。馴れぬスコットランド人には過酷ともいえる気候風土である。兄のロバートは、このアッサム奥地での歴史的な出会いの翌1824年に思い半ば30代の若さで死亡する。
弟のチャールズは、ラングプルでビルマとの交戦が始まったため、兄に代わりその木の調達を首長ビザガウムに再要請。兄との約束を守り、彼から待望の木と種がブルースの元に届けられた。そしてアッサム植民地弁務官であるデヴィッド・スコット大尉に一部を送り、残りは、ブルース自身のサディアの庭に植えられた。
翌年スコットは、別に自らが発見したマニプール産(アッサムの南)の茶樹らしき標品をインド政府主席書記官G・スウィントンを通じ、カルカッタ植物園ウォルリッチ博士に送り、茶であるとの確信を持って鑑定を依頼した。結果、博士からはCamellia即ち「唯のツバキ。本物の茶ではない。」との宣告が下った。一方でほかの専門家たちの中には、スコット大尉から持ち込まれた標品の木とブルースが発見したアッサム産茶樹とは異なるものであったのだろう考えるものもいた。結局このボタンの掛け違いがその後長い間、真のアッサム種同定作業にブレーキを掛け、丸10年間も遅らせる皮肉な結果をもたらしてしまった。
その間大英帝国への愛国心と功名心溢れる数多くの発見者たちが登場し紆余曲折のドラマが繰り広げられる。
1830年代に入りいよいよインド産紅茶の誕生の機が熟す条件は、弥が上にも揃って来た。
1833年中国政府は、この年に期限が来た貿易条約の更新を拒否して来たのだ。即ち東インド会社による中国からの茶の輸出独占に終止符が打たれるとともに、インドでの茶栽培を阻止しようとする同社による圧力は自然に消滅した。
茶の供給の道が途絶えるという深刻な事態に直面し、インド総督 W・C・キャベンディッシュ・べントリック卿は、中国茶樹のインドへの導入可能性とその最適栽培地につき委員会(ティーコミッティー)に諮問した。一方、C・A・ブルースは、政府が中国産茶樹を導入しての植栽を強引に進めてゆこうとする中で、その間もあくまでアッサム産茶樹にこだわっていた。
その後の結果はご推察のとおり、
*インド国内では、アッサムが紅茶栽培の最適条件候補地であること。
*この地では、中国産茶樹よりも自生のアッサム種の方が、はるかに優勢に生育し品質良好な紅茶となったこと。・・・である。
1837年いよいよ、ブルースによる最初の生産品46箱がカルカッタのティーコミッティーに出荷された。このうち選別を経た350ポンド(約158kg)8箱が翌38年5月8日ロンドンに向けて出港。さらに翌39年1月10日のロンドンオークションで熱狂的歓迎に包まれ、史上初のインド紅茶は全て高値で競り落とされた。
アッサム奥地で原生の茶樹を目の当たりにし熱い夢を見つつ夭逝した兄のロバートであったが、弟チャールズはその遺志を大切に引き継ぎ、見事に夢の実現を果たした。そしてインド紅茶の発展の揺籃期を、妻エリザベスと終生アッサムで暮らすことになった。1871年78歳ブラマプトラ北岸テツプルの地で亡くなった。今も妻と共に同地にあるウィリアムスンティー・アッサム社パタグア茶園内の教会墓地に安らかに眠っている。
これがアッサム種の発見者であり、インド茶産業の父といわれるブルース兄弟のご紹介。
今宵のディナーの仕上げには、セカンドフラッシュ・ゴールデンチップアッサムをミルクインファーストで淹れるとしよう。
これぞ大英帝国紅茶といわれりゃ癪なことだが、ほろ酔い気分のリキュール後には、最高のチェイサー。
アッサム紅茶で、気分は茶人パラダイス。
田中 哲
(参考文献 ”All About Tea - Ukers”)
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